チームが発足した際のいきさつについては、以前に述べさせていただきましたが、今回は、もう少し掘り下げてお話ししたいと思います。
よさこい不毛の地(?)に、どのようにして一心貫は誕生したのか?
前にも触れましたが、一心貫が誕生するまで、当地丹波市は、農協のチームさんが活動されているだけで、よさこいが根付いているとは言い難い状況でした。
お隣の篠山市(※今年5月からは「丹波篠山市」となられます!)では複数のチームが活動されており、極めて対照的な状況だった訳です。
そんな中、新たなよさこいチーム立ち上げのきっかけを作る人物が登場します。
・・・ウチの代表です。
代表は、地区(小学校区)の体育振興組織の役員を若い頃から務めておりました。
その関係で、とある年、代表は地区のハイキング行事のスタッフとして、参加者に付き添って赤穂市へ出向くことになります。何気に訪れた赤穂の街中では、たまたま“でえしょん祭り”というよさこいのお祭りが開催されていました。
そこで代表が目にしたのは、大通りを楽しげにパレードで流す踊り子たち。
「なんて楽しそうなんだ!」
代表は、踊り子たちの楽しげな様子、いきいきとした表情に一気に引きこまれたそうです。
そして、すぐさま「こんなん、やってみたい!」という思いに駆られます。
ただ、「踊りは無理やから、車(=地方車)の上で、扇子を振ってカッコいい口上を述べている、あれ(=煽り手)なら出来るやろ。」とも思ったそうで。
まあ、このあたりが代表らしいところです(笑)。
この時、代表がたまたま“赤穂を訪れ”、そこで、たまたま“でえしょん祭りが開催されていた”。この偶然がなければ、今の一心貫は存在していなかったでしょう。
時を前後して、代表は、地元小学校のPTA会長を務めることになります。
地域における教育分野での役職を担ったこの時の経験が、「好きなことだけを好きなようにやっていた」(本人談)人間の気持ちに変化を生むこととなります。
後に代表は、「それまでは考えもしなかった「子どもたちのために何が出来るのか」ということを意識するようになった。」と、その時の心境を回述しています。
ちなみに、この年が2011年。一心貫発足の2年前です。
翌年から、代表は具体的な行動を起します。
チームの立ち上げに向け、まず、自分が役員を務める地区の体育組織“スポーツクラブ21”で、他の役員にその思いを説き、よさこいワークショップの実施について、事業化の道筋をつけます。
併せて、地区の自治振興組織の支援も取り付け、チーム立ち上げの素地を整えました。
一方、最大の難問が、だれに指導を頼むのか?
これは、本当に大きな壁でした。周囲には、指導を頼めるような人はいません。
しかしながら、代表の胸の内にはおぼろげながら心当たりがありました。
『丹波篠山楽空間』
篠山市を拠点に、県下はもとより関西一円にも名を轟かせ、YOSAKOIソーラン祭りにも参加するほどのチーム。
地域イベントで演舞の様子も見ており、「頼むなら、このチーム」という思いは抱いていたものの、いかんせん、接点がない。
何かつながりは持てないか。思案に暮れるものの、一向に妙案は思い浮かばない。そんな悶々とした日々が続く中、ある日突然、転機が訪れます。
それは、自分が生業とする仕事で、地区内の新築住宅の現場を訪れた時のこと。
施主の奥さんとの雑談の中で、そのご夫婦が篠山市から移って来られたことを知ります。
そこで、何気に代表は、自分がよさこいを始めたいと考えていることを語り、その奥さんに「篠山出身なら、楽空間の関係者とか知っていないか?」と尋ねます。
その奥さんから返ってきた一言は、
「知ってるも何も、ウチの息子がそこの代表やで。」
「◎△$♪×¥●&%#?!」
世の中の不思議な繋がりを「縁がある」という言葉で表現しますが、これ以上、この言葉が当てはまることがあるでしょうか!?
この日を境に、チーム立ち上げの動きは急進展しました。
◆丹波篠山楽空間との入念な打ち合わせや練習見学
◆ワークショップに先駆けた「丹波篠山楽空間」のデモンストレーション演舞と一日体験会の実施
◆約6ヵ月に渡るよさこいワークショップ
こうして、あれよあれよという間に、チームの立ち上げが実現します。
そして、その影では、このようなドラマがあった訳です。
私たち一心貫が誕生できたのは、代表の奮闘があったことは勿論ですが、代表の想いに賛同していただいたスポーツクラブ21や地域の皆様、丹波篠山楽空間の皆さんが存在し、それらの人々が不思議な縁で繋がり、惜しみない支援をしていただいたこと、それら全ての賜物であると思います。
このことを深く胸に刻み、感謝の思いを忘れずに歩んでいきたいと思っています。
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